祖母の介護と胃瘻(いろう)問題に思うこと

日々の暮らしのこと
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まず初めにお断りさせていただきますが、私は医療関係者でも、介護の仕事に従事しているものでもありません。
いち、一般人として、父と母がかかわってきた、祖母の介護と胃瘻(いろう)の問題について、そして、私個人の想いを書いていきたいと思います。
家族関係、お金の問題、そして、祖母自身の人権のこと。
祖母が胃瘻(胃ろう)になってから9年目、今年の6月に天国へと旅立ちました。
その過程と、その時に感じた様々な感情、家族を取り巻く環境の変化などを伝えていければと思います。

祖父の死、祖母の特養ホームへの入居

祖父が他界した数年後、母は特別養護老人ホームへと入居します。もともと持病でパーキンソン病があり、祖父の死後すっかり覇気を失った祖母は、だんだんと様々な日々のことをしなくなっていきます。料理、洗濯、掃除などを面倒だと感じるようになったようで、特別養護老人ホームへの入居を決めました。
 
当初は自分で動いたり、出来ていたようですが、もともとのめんどくさがり屋の祖母は、食事も食べさせてもらい、着替えも、体の掃除も、してもらうという至れり尽くせりの状況になれてしまい、だんだんと体の自由も聞かなくなっていきました。

寝たきりの祖母、肺炎・風邪などの症状が頻繁に出るように

運動をしないと人は弱っていくものなんだなと、祖母を見ているとつくづく感じていたのもこのころのことです。
このころから、祖母は頻繁に熱を出したり、風邪をひいたりして、病院への入院→特別養護老人ホームへ戻るということを繰り返していました。
 
食事もだんだん口から取れなくなっていき、親族が集められ、今後、どのような看護方針で祖母を看ていくのか、ということを話し合いをしたそうです。
当初は、胃瘻(いろう)はしない。自然に人生を全うしていくことを選択する。という署名を父、父の兄弟、母も含めてしていたようですが、いざ、栄養が本格的に取れなくなったときに、パニックに陥ったであろう父と、兄弟が胃瘻(いろう)をしてしまうことになります。
 

胃瘻(いろう)とは一体何なのか?

胃瘻とは口から物が食べられなくなった方や、食事の時に誤嚥することが多く肺炎のリスクが高い方などに用いられるもので、胃に直接栄養を入れるための経路となるものです。多くの場合は内視鏡下で手術を行い胃瘻を設置します。胃瘻栄養は日本だけではなく欧米でも広く行われている長期的栄養摂取法の一つとなっています。

http://www.okuchidetaberu.com/colum/no24.html

胃に直接栄養を入れる。これで、栄養を確保して、祖母のエネルギー源とするというものでした。

胃瘻(いろう)を選択するとどうなるのか?

わたしが聞いた話になりますので、医療関係者様や、詳しい方からのご指導、ご意見などはご遠慮いただきたいと思います。
 
胃瘻(いろう)を選択すると、祖母の場合に関してはそのチューブを抜くということは、命を止める。という選択になります。つまり、自力での回復が見込まれる人は、胃瘻(いろう)を食事がとれるくらい回復した時点で抜去することができるそうですが、祖母の場合は、もう、体も動かなくなってきて、衰弱している、延命のためだけの胃瘻(いろう)のように私は感じました。
つまり、体が動かなくても、自分の意志が伝えられなくても、もう、ただ寝て天井を見ているだけの状態でも、栄養を送り続けなければならない、胃瘻(いろう)を抜くことができないという話だったのです。
 
病院の先生からも、胃瘻(いろう)を一度入れると抜去はほぼできません。という説明をいただいていたそうです。ここから、先の見えない戦いが始まります。
 

介護による家族関係の悪化・先の見えない介護

特別養護老人ホームに入居していたとはいえ、医療費・施設費などの費用は日々かかるわけです。当初は、3年ほどだと考えられていた祖母の命は、9年間つなぎとめられることとなりました。
あいに行っても、返事もできず、体も動かず、眼だけが開いているのか開いていないのかもうわからない状態。
もし、これが若年者(私の子供だったりしたら)と思うと、胃瘻(いろう)という選択をすることは手段の一つとして考えられる。
ですが90歳になろうかという体の動かない祖母に、ただ、命を長らえるだけのための胃瘻(いろう)はわたしだったら選択しない。と心から感じたものです。
 
介護期間が長引くほど、かさむ費用。その費用をどう負担していくのか?今後どうしていくのか?先の見えない状況の中、父の兄弟関係は次第に悪化していきます。
残念な話ですが、最後には金銭問題で兄弟間での法廷闘争までになってしまいました。
あの時、祖母に胃瘻(いろう)を選択していなければ、この結末にはならなかっただろう。
祖母も、ただ天井をひたすら見つめる日々を送ることもなかっただろう。
そう感じると、悔やむに悔やみきれない気持ちになります。

9年間続いた胃瘻(いろう)生活

祖母は99歳まで生きることはできました。
でも、私には、「生きていた」という感覚は全く感じられませんでした。
心臓が動いていた。その事実だけであったような気がします。

祖母はこの状況を望んでいたのだろうか?

本当にこれでよかったのだろうか?

祖母の人権は守られたのだろうか?

高齢者の胃瘻(いろう)について思うこと


 
様々なご意見があるとは思いますが、、回復の見込みのない高齢者への胃瘻(いろう)に関してはわたし自身はいまだ懐疑的な気持ちでいっぱいです。
途中でやめることができない選択。
家族はきっと、少しでも生きながらえてほしいと感じるものだと思います。
その感情も理解できるのです。

ですが、私自身は、母と父の終末期に胃瘻(いろう)の選択はしないと心に決めています。
(母本人からも希望として話をされています)
 
この超高齢化社会に、人生を終えるときに自分がどう生きたいのか?
どうありたいのかを家族に伝えておくことの重要性を私は感じています。
 

*この記事は胃瘻(いろう)の制度自体を否定するものではありません。
いち介護経験者、胃瘻(いろう)を選択した家族を目の前で見てきたものとして、
記録を残したものであります。
 

 

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